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移住女子手記

2016.10.31

私が移住女子を選んだ理由-佐藤可奈子-

8ツーショット写真はじめまして。新潟県十日町市で農業や地域づくり活動をしております、坂下可奈子と申します。香川県で生まれ育ち、大学で上京し卒業後、新潟県十日町市の山あいの集落、池谷に移住し早3年目となりました。

私の住む集落は現在8軒19人の集落です。私が移住する前は6軒13人の限界集落でした。そんな集落が2004年の中越大震災以降、震災復興ボランティアさんたちの力により、地域と都心との交流が生まれ、現在年間約800人もの方々が訪れる集落となりました。そして今では私を含めて2世帯が池谷集落に移住し、限界集落から脱出、いまも集落を見守ってくださっている都心や地域の方達とともに、地域を後世につなぐ活動をしております。

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私自身は大学では、法学部の政治学科でアフリカの紛争解決を専門に勉強していました。当時は、どうしたら世界から戦争や紛争がなくなるのだろう、どうやったら平和な世界を作れるのだろうと考える夢みる夢子ちゃんでした。そしてケニアやルワンダにも足を運んで社会問題を考えていました。

そして、そうやって活動していくうちに、世界という大きな単位から変えようとし、絆創膏的に現地で活動するよりも、まず日本の小さな単位をよくしていくことが、少しずつおおきな幸せに繋がるのではと思うようになりました。そして欲望やエゴが渦巻く紛争の中でいながら、地域をよくするのは、「こころ」なんだと気付きました。

 そんなことを考えながら活動しているときにJENという国際NGOに出会いました。彼らは私が今住んでいる池谷集落で中越地震からの震災復興の活動をしていました。そして夏に農作業ボランティアを実施すると聞き、友人と参加したのが集落との出会いでした。

 当時6軒13人、半数以上が70代のおじいちゃんおばあちゃんの池谷集落との出会いは衝撃的でした。そこにあるのは、山と農に生きる人たちの強いこころと広い人間性、そして次世代に集落を繋げたいという未来への希望でした。冬には4m近くも雪が降る豪雪地帯。だからこそ「和」と「協調」が大事にされ、おおきなお世話を焼いて焼かれる、地域がひとつの家族のような生活をしていました。
道ばたで一休み

現代は何百年と変わらずに続き守られてきたものが、たった数年で変化し、淘汰され、物質が交錯しています。社会が進みすぎて、一人でも生きていけるような錯覚にも陥ってしまいます。しかし集落では目に見えない何かがいまも大切に守られ、くらしには常に自分以外のものが寄り添っていることを教えてくれます。そうだ、消耗、消費されてゆくものを作るよりも、普遍的に大切なものを当たり前に大切にしたい、と思いました。

 

もう一つ、私の価値観を変えたのは、自分への向き合い方でした。私は小さいころからスポーツもよくし、よく食べ、太りやすい方だったので、女の子にしては割とガタイのいいほうです。それがずっとコンプレックスで、女の子らしい華奢な体に憧れていました。中学校からいろんなダイエットもしました。全く食べなかったり、白米を抜いたり、キャベツだけ食べたり、痩せるサプリメントを飲んだり…。それでも痩せては太っての繰り返しでした。家族やまわりからも「痩せたらかわいいのに」「また太ったなぁ」あげくの果てに「痩せたら付き合う」と言われると、私は確かにここにいるのに、「今」の私は誰からも受け入れられていない気持ちになりました。私はどこにいるのだろう?そして雑誌に載っている流行のカワイイ服を着ても、丸い体だとかわいく着こなせなくて、鏡を見るのも嫌でした。あの子のようになりたい。痩せないと私は「私」ではないのだと、その乖離で苦しんでいました。

新水棚田

食べることは罪で後ろめたく、結果、過食と拒食の狭間で、高校を何ヶ月間か(ぐれて?)行かなくなったこともありました。そんな心を埋めるように、東京のブランド服を来て、高級ブランド品に身を固めて、ピアスをいっぱいあけてみたり、危ないバイトしたり、そしてまた消費して…つまらないプライドを保っていました。

大学に行ってもコンプレックスは続き、自分自身は幸せでも健康でもないのに、誰かを助けたくて海外に足を運んで支援活動をし、どこか矛盾した生活をしていました。「なんだか生きにくいなぁ」と思ってたから世の中が平和になってほしいと思ったのでしょうか。

そんな中、池谷に来るとごはんが本当においしくて、いつもつい食べ過ぎてしまいました。「あぁまた東京戻ったらダイエットしなきゃ」とつぶやいたとき、村の人が「なんでダイエットするの?いまのままでもいいのに」と言いました。そのときは「そうは言っても…」という気持ちでした。

 

けれど何度も通ううちに、本当に採れたての作物は心の底から沸き起こるくらいの大地の力を感じて、そんな力を私はお裾分けしてもらい、自分のエネルギーにしているんだと気付きました。

長い時間をかけて形成された池谷のブナの原生林は、沈黙の冬から顔をほころばせ、腐葉土、湧き水、生物…私たちには計算も造形もできない仕組みの中で、豊かな土壌と水はゆっくり大地を巡ります。作物たちはそれを栄養に、風に吹かれ、何度も星を見送り、何度も太陽を迎え、草刈りをする村人とともに、太陽にも炙られます。作物のその小さな体には、長い物語と、沢山の風景が詰まっています。そして時期、季節、部位によって味や調理法も違う野菜や山菜たちを前にして、彼らが饒舌に語りかけてくるのが分かるようになりました。

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「そうだった、私が食に苦しんでいるときに、日本の隅っこの山奥で、こんな私の食を支えてくれている人達がいたんだ」。

橋場さんぜんまい

そして、「丸々してかわいらしいから可奈子なんだ」「太い指?いっぱい働いてる手じゃないか」「いつも笑ってるからいいんだよ」というのを刷り込まれてくると、本当にやっと今の自分を好きになってきました。

ここの作物を食べることで心から沸き起こる温かさは、人にも自然・作物にも優しくさせてくれます。口から入るものは、それに対する向き合い方を変えてくれました。野菜を食べよう=野菜ジュースではなく、ごろんとした作物に手をかけ丁寧に暮らすこと、丁寧に向き合うこと、きちんと選ぶこと、力のある旬のものを食べること…その積み重ねはやはり考え方も変えてくれます。

そして食の現場から伝えることで、消費者の皆様の食に対する小さな思いが変化すれば、それは農家さんたちの暮らしを支えることになると思いました。思いが変わるためには、体感しないとそうそう変わりません。けれど体感するに至るきっかけづくりはできます。村人たちの長い歴史の中の農業の知恵や経験を引き継ごうという思いに加えて、このような食に対する思いで、集落に移住して農業に挑戦しようと思いました。

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そんな思いから始まった農業生活も、去年から地元の味噌屋さんや飲食店さんに野菜を出荷したり、都心の方にお米や野菜、山菜を販売したりと少しずつ輪が広がってきました。野菜便、山菜便には毎回エッセイとレシピ、封入作物のうんちくを書いて冊子にして送っています。

山の生活は本当に楽しいですが、ここで生計を立てること、条件の悪い山地での農業はとても大変です。山の暮らしは全くのんびり暮らしではなく、むしろ大忙しで挑戦の日々です。けれど、心に風が通る気持ち良さがあります。

地域の良さは食べ物や自然、人など、目に見えるものも沢山ありますが、地域を支えているのは目に見えないもののように思います。しかしそれを読み取り、丁寧に生きるには、現代はあまりにも忙しすぎて、スピードが早く、情報が多く、変化が早いです。

山奥で農業を一人している腰のまがったおじいちゃんも、哲学者です。派手なことをしたり、大きな事業をしたりするから偉いのではないのです。けれど物語に溢れています。小さな価値観の変化が足を止め、人を繋げ、後世に続くやさしい地域、強い農業をつくります。
そして、私はこの地域が1000年先も続くように力になりたいと思っています。

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坂下可奈子